大阪地方裁判所 昭和32年(タ)15号 判決 1960年12月09日
原告 荒木すみ子
被告 黄仁欽
主文
昭和三一年一二月一二日東京都品川区長に対する届出によつてなされた原告と被告との婚姻が無効であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告は主文と同旨の判決を求め、請求の原因として次のように述べた。
「一、原告は戸籍上昭和三一年一二月一二日東京都品川区長に対する届出によつて被告と婚姻した旨記載されている。
二、しかしながら、これは被告が原告および原告の実弟荒木道男の署名および印章を偽造して婚姻届を作成提出したことによるものであつて、原告には被告と婚姻する意思は全くなかつた。
原告は、昭和二八年一月頃から被告と内縁の夫婦関係を結び、同二九年三月二一日に二人の間に男児芳昭が出生したが、被告が性怠惰で生業に就かず、麻薬取締法違反で服役するような事情であつたので、原告はその後被告との内縁関係を解消し、芳昭を連れて実家に帰つていた。被告は刑務所を出所後、原告の知らない間に前述のように原告等の署名、印章を偽造して婚姻届を作成提出したものである。
以上の次第であつて、右婚姻届出による原告と被告の婚姻は無効であるから、請求の趣旨のとおりの判決を求める。」
被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め次のように答弁した。
「原告主張の事実は否認する。被告は昭和二四年三月二〇日に原告の両親、親せきの者の立会のうえ事実上の結婚をし、二人の間に昭和二九年三月二一日芳昭が生れたものである。」
証拠として原告は甲第一号証、第二号証の一、二を提出し甲第二号証の一は全部被告が作成したものであると述べ、証人荒木道男の証言、原告本人の供述を援用した。被告は甲号証の成立を全部認めた。
当裁判所は職権で被告本人を尋問した。
理由
一、公文書であるから真正に成立したものと推定される甲第一号証(原告の戸籍謄本)によれば、原告が日本国籍を有することが認められるから、本件についてわが国の裁判所が裁判権を有する。
二、前記甲第一号証、被告本人の供述によつて、被告が作成したことが認められる甲第二号証の一(婚姻届)、公文書であるから真正に成立したものと推定される甲第二号証の二(外国人登録済証明書)によれば、被告は中華民国の国籍を有し、原告は戸籍上昭和三一年一二月一二日に東京都品川区長に対する届出によつて被告と婚姻した旨記載されていること、右婚姻は夫の氏を称するものでもなく、また妻の氏を称するものでもないことが認められる。
婚姻無効確認の訴は、夫婦が夫の氏を称するときは夫、妻の氏を称するときは妻が普通裁判籍を有する地の地方裁判所の管轄に専属すると規定されているが(人事訴訟手続法第一条)、夫婦につきいわゆる称氏者がない場合における管轄に関してはなんら規定がない。しかし、だからといつて、このような場合には直ちに民事訴訟法の原則に帰つて、同法の管轄の規定がそのまゝ適用されると解するのは妥当でない。人事訴訟手読法が婚姻事件について専属管轄の定めを置いたのは公益上の必要によるのであり、このような配盧は、たまたま夫婦につき称氏者がないときでも同じく要求されなければならないからである。そこで、このような場合にも一般の婚姻事件の場合と同様に考えて、少なくとも夫または妻が普通裁判籍を有する地の地方裁判所のみが管轄裁判所としての適格を有すると考えなければならない。そして一般には(日本人相互の婚姻の場合は必らず)夫婦が夫の氏を称するか、妻の氏を称するかによつて、当然に、夫が普通裁判籍を有する地の地方裁判所か、または妻が普通裁判籍を有する地の地方裁判所か、どちらか一方の裁判所が専属管轄裁判所と決定されるのに対し、称氏者がない場合にはこのような二つの裁判所のうちいずれが専属管轄権を有するかを決定する規準がないことになるわけであり、しかもこれを決定するについてほかに合理的な規準も見出せないから、結局このような場合には右の二つの裁判所がいずれも専属管轄権を有すると解するのが相当である(元来、専属管轄は公益上の必要から認められたものであり、それはたゞ法定の当該専属管轄裁判所以外の裁判所の管轄を排除するという意義を有するに過ぎないものであるから専属管轄裁判所が必らずしも常に唯一つでなければならないわけではない)。もつともこの場合でも夫婦の一方が原告、他方が被告であるときは、二つの専属管轄裁判所のうちのいずれの裁判所へ訴を提起してもよいというわけではなく一般民事訴訟の場合と同じく、被告が普通裁判籍を有する地の地方裁判所が原則として管轄裁判所となると解したゞ、二つの専属管轄裁判所相互の関係では民事訴訟法第二五条、二六条の類推適用を認めるのが公平の見地からいつて相当である。
そうすると、さきに認定したとおり称氏者のない本件にあつては、被告が普通裁判籍を有する地の地方裁判所である東京地方裁判所と、原告が普通裁判籍を有する地の地方裁判所である当裁判所とがともに専属管轄権を有し、両裁判所相互の関係では被告が普通裁判籍を有する地の地方裁判所である東京地方裁判所が原則として管轄裁判所となるわけであるが、本件にあつては被告が当裁判所へ応訴しているから、前説明のように民事訴訟法第二六条を類推適用して当裁判所も管轄権を有することになる。
三、そこで本案について判断を進める
(一) 原告が昭和三一年一二月一二日に東京都品川区長に対する届出により被告と婚姻した旨戸籍に記載されていることはさきに認定したとおりである。原告本人の供述、被告本人の供述証人荒木道男の証言によれば、その当時原告は被告と婚姻する意思はなかつたことが認められる。すなわち、原告は被告と昭和二四年以来内縁の夫婦関係にあつて、芳昭という子供までできていたが、原告は、被告が生業につかず昭和二九年から三〇年にかけて二度も覚せい剤取締法違反で懲役刑に処せられたりしたので、愛情を失い、昭和三一年一〇月頃別れ話を持ち出したところ、被告も同年一一月頃明確にこれを承諾した。婚姻届が提出された頃は原告はすでに被告と別れて樋上正一と同棲し、同人と正式に婚姻する積りでいた。しかるに、被告は子供可愛さのあまり、芳昭の認知届をする一方、原告および証人荒木道男の全然知らない間にその署名を冒用し印章を偽造して婚姻届を作成提出したものである。以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。
(二) 当事者間に婚姻をする意思があることは婚姻の実質的成立要件であるから、その欠缺の効果は、法例第一三条により、各当事者につきその本国法によつて判断すべきものである(同条には「婚姻成立の要件は各当事者につきその本国法によつて定める」とあり、これには「要件の欠缺」の効果の問題も当然含まれると解すべきである)。本件婚姻については原告に婚姻をする意思がなかつたことはさきに認定したとおりであり、民法第七四二条によれば婚姻当事者間に婚姻をする意思がないときは婚姻は無効であるから、本件婚姻が無効であることは明らかである。
よつて原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 平峯隆 中村三郎 上谷清)